第3回:「立教三羽烏」と早稲田の木村

テレビの草創期、テレビを集客のツールに利用する人々、とくに飲食店の経営者は多かった。家にテレビが来る前、私が最もテレビを視聴した場所がこの飲食店(食堂)だった。
そんな食堂で私が好んで見ていたテレビ番組は野球中継だった。それも東京六大学野球。戦前の野球は後からできた職業(プロ)野球よりも伝統ある大学野球の方が国民的な人気を博していたそうだが、私が7~8歳頃はその名残りが色濃かったのか、大学野球のテレビ中継が盛んだった。
とくに昭和31(1956)、32(1957)年は特別なシーズンだった。後に日本人なら誰もが知る大スターになる立教の長嶋茂雄が首位打者を獲得するとともに、ホームラン記録も樹立したからだ。長嶋に加え、アンダースローの頭脳派ピッチャー・杉浦忠(南海ホークス/同監督)や本屋敷錦吾(阪急ブレーブス/遊撃手)の「立教三羽烏」が大活躍。
ただ私はこの3人よりも早稲田の木村保(南海ホークス)投手がお気に入りで、木村が南海(昭和32/1957年から入団。デビュー年に新人賞を獲るが現役はたった6年間)でつけた10番の背番号のユニフォームで野球をしていた。
スポーツといえば選手もの映画が頻出していた。それも現役選手の伝記的実話を本人自身が演じるという摩訶不思議なもの。野球では巨人の「川上哲治 背番号16」(昭和32/1957年)や西鉄の「鉄腕投手 稲尾物語」(昭和34/1959年)。相撲では大関時の「若ノ花 土俵の鬼」(昭和31/1956年)。プロレスの「力道山 怒涛の男」(昭和30/1955年)などがそれだ。当時、相撲人気は野球に匹敵しており、民放テレビ4局が本場所を生中継(フジとNET<現テレ朝>が開局した昭和34/1959年)したこともあった。

写真:日刊スポーツ/アフロ

愛聴・ラジオドラマ

小学校2年の暮(昭和31/1956年)、私は担任のS先生へのお歳暮(当時の先生は普通に受け取っていた)に「養命酒」を贈ってくれと母に要望していた。理由は簡単だ。広告に影響されたからだ。養命酒の広告はいつも聴いているラジオドラマ「少年探偵団」から流れていた。少年雑誌や少年版乱歩全集で少年探偵団は読んでいて、団員章で尾行にも使う「BDバッチ」などの探偵団の七つ道具を集めていたこともあり愛聴していた。
ラジオドラマはもっと前から聴いていた。NHKの「新諸国物語」が最初だと思う。月~金の午後6時30分から15分間の放送で、昭和27(1952)~35(1960)年までの間に7つの物語が放送された。私が愛聴していたのは、そのなかの2作目の「笛吹童子」(昭和28/1953年)と3作目の「紅孔雀」(昭和29/1954年)である。クレージーキャッツのピアノ担当・石橋エータローの父で尺八奏者の福田蘭堂が作曲した「♪ヒャラーリ、ヒャラリコ、ヒャリーコ、ヒャラレロ、誰が吹くのか不思議な笛だ~」(笛吹童子)や、「♪まだ見ぬ国に住むという、紅きつばさの孔雀鳥~」(紅孔雀)という主題歌は今でも唄える。
また、両ラジオ物語は鮮明なる映像とともに私の脳裏に甦ってくる。なぜなら東映で映画化されており、これを必ず見に行っていたからだ。

錦之助、千代之介、そして橋蔵

映画「新諸国物語 笛吹童子」は昭和29(1954)年に第一部から第三部まで週替わりで順次公開された。応仁の乱後の混乱を背景に滅ぼされた一族再興を誓う剣の名手の萩丸と、笛の名手(笛吹童子)の菊丸兄弟が大活躍する幻想的冒険時代劇である。萩丸を東千代之介が、菊丸を中村錦之助が演じた。「紅孔雀」は翌(昭和30/1955)年から翌々(昭和31/1956)年に製作された「笛吹童子」と同工異曲の時代劇映画で、こちらは5部作だった。
東千代之介は長唄の杵屋の子で日本舞踊の家元。音楽学校(現東京藝大)を卒業していた。
6歳下の錦之助は歌舞伎の御曹司。「錦ちゃん」の愛称で呼ばれ本作を期に超人気映画スターにとなる。この二人にやはり歌舞伎出身の大川橋蔵(昭和31/1956年東映デビュー)を加えた3人が、時代劇映画の黄金期の東映京都を代表する美男スターとして大活躍する。
映画の衰退、テレビの隆盛をうけて千代之介は昭和40(1965)年に映画界を引退、踊りに専念する。橋蔵は18年間続くテレビ時代劇「銭形平次」(フジテレビ/昭和41/1966年~)で茶の間の人気を博し、同名主題歌は「高校三年生」(昭和38/1963年デビュー)の舟木一夫が唄った。
錦之助も小池一夫の人気劇画のテレビドラマ化「子連れ狼」(昭和48/1973~51/1976年)、が日テレの日曜夜9時枠で放送され、高視聴率を獲得。こちらは橋幸夫が唄う「♪しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん~」という主題歌が大ヒットした。レコード化は昭和46/1971年だがドラマ主題歌としては昭和51/1976年の第三部で使われた。(つづく)

千葉 廣太郎

外資系広告代理店に長年勤務し、その後フリーのプランナー&大学で広告論等を講ず。現在は隠居仕事として某大で近代文学を履修・研究中。