第6回:「名犬リンチンチン」と「頓馬天狗」

写真:Everett Collection/アフロ

もう一度、昭和33(1958)年の夏に戻ろう。わが家にテレビが来た当初、私が見ていた番組はというと・・・まず思い出すのがリンチンチン(Rin Tin Tin)という名犬もののウエスタン。騎兵隊が駐屯するとある西部の砦が舞台。そこに何故か制服姿の主人公の少年と彼が飼っているシェパード犬のリンチンチンが居て、襲い来るアパッチとの闘い(昔の西部劇は原住民をインディアンと呼び、必ず敵役)などさまざまなドラマを繰り広げる30分番組(当時のドラマは和洋問わずほとんどこの長さ)だった。脇を固める騎兵隊長のマスターズ中尉や、オハラ軍曹など役名もはっきり覚えている。
提供スポンサーがハリス(という菓子メーカー)だったので、主人公名を勝手にハリスにし、番組名も「ハリス少年と名犬リンチンチン」として昭和31(1956)年から放送。
テレビ草創期、広告主とテレビ局との商取引(間に広告代理店が介在する)は、すべてが1番組を1社が提供するという形態。故に、ゼロスタートの新興メディア・テレビは超買い手市場の商売だった。すなわちお金を出してくれる広告主―まさにスポンサーのいいなり状態で、主役名にスポンサー名を冠するなど朝飯前のできごとだった。
例えば土曜の夜9時から放送していたKRT発の「日真名氏飛び出す」(昭和30/1955~37/1962年)は提供が三共製薬(現第一三共ヘルスケア)だったので主人公の住まいが薬局の2階という設定で、画面にやたら三共の薬が映り込んでいた。
さらに大阪局発の番組はもっと露骨で、大塚製薬提供の「頓馬天狗」(YTV/昭和34/1959~35/1960年)は大村崑演じる頓馬天狗の役名を「尾呂内 楠公」にして、「♪姓はオロナイン、名はナンコウ~」という歌詞のある主題歌を流していた。
「頓馬天狗」と同じ作家の花登筺とコメディアン・大村崑コンビのヒット番組、「番頭はんと丁稚どん」(MBS-NET/昭和34/1959~36/1961年)の主題歌は「好きだった」(鶴田浩二やマヒナスターズが歌唱。昭和31/1956年)の替え歌で、スポンサー(七ふく製薬)名を織り込んでいた(「♪丁稚だって、丁稚だって~胸の七ふく温もりを~」)。そういえば中学に実家が七ふく(関西では「しち」ではなく「ひち」と訛る)の同級生が居たのを懐かしく思い出す。

ガムといえばハリス

今日ではガムといえばロッテ(が常識)だが、私の子供時代はハリスだった。同社が在阪の菓子メーカーだからかもしれないが、三つ子の魂百までで、「リンチンチン」をはじめ子供心に植えつけられたハリスの宣伝効果は抜群だった。
ハリスはラジオの時代から宣伝に熱心で、「ハリスクイズ」という関西ローカルの番組を提供していて人気だった。それはABC開局当時(昭和26/1951年)頃からの番組で、腹話術の川上のぼる(ABC専属の学生タレント)が「ハリス坊や」という人形を相方にクイズ形式で進行。大阪市内外の小学校の講堂に観客を入れて収録するという公開録音形式を採っており、私が入学した小学校(大阪梅田から阪神電車でひと駅の福島)にもやって来た。

公開録音(画)は花ざかり

写真:大塚製薬株式会社  

公開録音(画)番組は、初期のラジオ・テレビ番組、とくに大阪局制作の番組の得意技だった。NHK大阪局(JOBK)制作の(花菱)アチャコと浪花千栄子(NHK朝ドラの現行番組「エール」の後番組は彼女の一代記とか…)の「お父さんはお人好し」(昭和29/1954~40/1965年)は公開風景を見た記憶はないがラジオでは聴いていた。
また堂島川縁に住んでいたので、ABCで行われる番組収録(多分ラジオ版の「蝶々・雄二の夫婦善哉」)に行っていたような気がする。
さてテレビの公開録画番組についてだが、先の「番頭はんと丁稚どん」、そしてABC制作-TBSネットの「スチャラカ社員」(昭和36/1961~42/1967年)、その前番組の「ダイラケのびっくり捕物帖」(昭和32/1957~35/1960年)、「てなもんや三度笠」(昭和37/1962~43/1968年)などテレビ草創期の大阪発の人気番組が並ぶ。
上記の「番頭はん~」を除く3番組に必殺仕掛人シリーズで知られる藤田まことが出ており、「びっくり捕物帖」ではひと回りも年上の森光子の兄役だった。なおダイラケとは、主役の実力人気とも当時絶頂の大阪漫才コンビの中田ダイマル・ラケットのこと。
藤田はミヤコ蝶々が社長の会社が舞台のドタバタ喜劇「スチャラカ社員」からは、そのコメディアン力が発揮され、恋人役の長谷百合を「長谷く~ん」と呼ぶギャグ(長谷が引退した後の2代目が現・尾上菊五郎夫人の藤<富司>純子で、今度は「藤く~ん」といっていた)が大受け。そして「あたり前田のクラッカー」(スポンサーが前田製菓)で一世を風靡する「てなもんや三度笠」(昭和37/1962~43/1968年/ABC-TBS系)で不動の地位を手にする。
そういえば、大村崑・浪花千栄子・ダイラケはすべて大塚製薬の広告タレントだった。大塚といえばホーロー看板による同社独特の宣伝・広告戦略が思い浮かぶ。通常の広告取引は広告代理店が仲介するので、広告主とメディアが直取引することはあり得ない。しかし、ホーロー看板は媒体が個人宅の外壁なので、それが可能となった。本名の南口(なんこう)キクノに因んで起用された浪花千栄子(オロナイン軟膏)に始まり、大村崑(オロナインC)、そして忘れてはならないのが、松山容子のボンカレー(大塚グループの大塚食品の製品)のホーロー看板だ。松山は「頓馬天狗」の後番組「琴姫七変化」(昭和35/1960~37/1962年)の主演だが、彼女が私たちの記憶に残っているのは、ひとえにボンカレーのCMおよびホーロー看板ゆえといっても過言ではない。(つづく)

千葉 廣太郎

外資系広告代理店に長年勤務し、その後フリーのプランナー&大学で広告論等を講ず。現在は隠居仕事として某大で近代文学を履修・研究中。