大瀧詠一 『夢で逢えたら』

作詞・作曲:大瀧詠一

『夢で逢えたら』について訊きたいって?
昭和51年に吉田美奈子が歌って、ほかにもいろんなアーティストがカバーした。
ラッツ&スターとか、薬師丸ひろ子とかな。
ナイアガラ・レーベル随一のスタンダード・ナンバーだって言われてる。確かにいい曲だよな。

もっと詳しく訊きたい?
じゃあ大瀧詠一って男について話してやるよ。ちょっと長くなるぜ?

デビューは昭和45年だ。『はっぴいえんど』ってバンドだった。
メンバーは大瀧のほかに、細野晴臣や松本隆がいた。知らないわけないよな? YMOの細野晴臣と、作詞家の松本隆だ。
一般的にはほとんど無名だったが、「日本語ロックを構築した」だの「いややっぱりフォークだった」だの、一部のファンからは注目されたバンドだった。

『はっぴいえんど』はすぐに解散しちまったんだが、大瀧はその前からソロ活動を開始してる。
CMソングなんかも作ってたな。三ツ矢サイダーとか。

昭和49年だったか、大瀧は自分でレコード・レーベルを立ち上げた。
『ナイアガラ・レーベル』だ。大きい滝だからナイアガラなんだそうだが、まあ、普通のミュージシャンのやることじゃない。
ラジオを始めたのもそのころだ。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』って番組なんだが、憶えてないかい?
無茶苦茶マニアックな音楽論をかましてたんだぜ?

大瀧って男は、心底音楽が大好きで、勉強家だったんだ。
自分の曲にもいろんなミュージシャンの曲を引用していた。
どっかの馬鹿がこんなことを言ったことがある。「あの曲は3つの曲からパクってますよね?」
大瀧は答えた。「その3曲のほかにもう2曲あるんだけど、わからなかった?」

『夢で逢えたら』って曲は、そんな大瀧の代表曲だ。
80年代にこっそり録音していたっていうセルフカバーが初めて発表されたのは、2014年。
大瀧詠一が死んだ翌年のことだ。

奴にはもう、夢でしか逢えねえ。

イベントプランナー/劇作家
如月 伴内

ある時はイベント制作会社のプランナー。
またある時は某劇団の座付き作家。
しかしてその実体は、ちょいとミーハーな昭和ファン。