ドブネズミ、という字面を見ると、反射的にザ・ブルーハーツを思い出す世代も少なくないだろうが、もう少し年長のSHOWAメンズともなれば、中年男のだらしのないスーツ姿を揶揄する言葉だったことも覚えておられるはずだ。
よれよれになったミディアムグレーの背広を、薄汚いげっ歯類のイメージと重ね合わせた発想は、秀逸なだけにいっそう逃げ場のないネガティブさを感じさせる。
面白いことに欧米では、グレーのスーツはもっぱら成功した男性の証として認識されている。夏ならばフレスコ、冬ならばフランネル。グレーの高級生地であつらえたスーツには、季節を問わずファッション上級者をひきつけてやまない魅力がある。
我が国においても、江戸幕府の奢侈禁止令によって、平民の着衣の色が灰・茶・藍の三色のみに制限された際には、富裕な商人階級の粋人たちが「百鼠」と呼ばれる様々なグレーのバリエーションで反物を染め上げることで、反体制的な洒落心を謳歌したという歴史がある。
ようするにドブネズミがドブネズミたる理由はその色ではなく、身だしなみや清潔感に気をつかうことさえしない無粋な中年男のメンタルにこそあったと理解すべきであろう。
そもそも男性の装いは長い間ダークトーンのみに限定されてきた。メンズファッションに色彩という要素が導入されたのは服飾史上でもほんの最近の出来事であり、その年代まで特定することができる。
いわゆる「ピーコック革命」である。
1967年(昭和42年)アメリカの化学メーカーデュポン社が、自社製品であるカラフルな合成繊維の更なる拡販を狙い、著名な心理学者アーネスト・ディヒターを担ぎ出して行なった一大プロモーションのことだ。
「孔雀のように生物はメスよりもオスのほうがカラフルな外観を持つ。性的なアピールを高めることで遺伝上の競争に勝つという戦略的進化の結果だ。同じように、男性も華やかな色を身にまとうことで、より魅力的になれるのだ」と、ぶちあげたのだ。
このディヒター博士。人形は少女の内なる性的成熟願望の客体である、と称してマテル玩具のバービー人形をグラマラスボディに仕様変更することで売上拡大に寄与した経歴を持つ御仁で、いうなればマーケティングに心理学的手法を持ち込んだパイオニアともいうべき存在である。
実際に60年代後半から70年代にかけて、男性ファッションが急速に豊かな色彩に彩られていったことは、当時の映像を通じて容易に確認することができる。日本で言えば、グループ・サウンズの衣装のデコラティブさは文字通り孔雀のようだし、著名人のシャツが原色だらけになるのもこの頃だ。
現代では、ダークなスーツの差し色として、ビビッドなネクタイやポケットチーフをあわせるコーディネイトが定着しているが、その源流をたどれば半世紀前のピーコック革命に行きつくのだ。
というわけで、このピーコック革命、おそらくは近代広告史上で最も成功したプロモーションのひとつであることは間違いないが、にも関わらず、その立役者であるディヒター博士の存在は、半ば忘れ去られようとしている。
ひとつにはその山師的なフットワークがアカデミズムの世界ではまったく認められなかったことにくわえ、心理学的なアプローチで消費者の欲求を喚起するという先進性が、いまではすっかり陳腐化してしまったことも、無視のできない理由であろう。
21世紀の日本では、ドブネズミのようなスーツ姿の中年男性をみかけることはめっきり少なくなったが、その陰にはフロイト学派の心理学者の功績が少なからず影響していたことを、覚えておいても損はないだろう。
ファッションプロデューサー 昭和風俗研究者
西式 豊
昼は某大手アパレルに勤務。
夜は某ブランドの企画運営。
最近は終戦直後占領期の横浜に興味津々。