第5回:柔らかな誤解 ~ソフトスーツとイタリアンブランドの話

バブル経済のまっただなか、昭和という時代が暮れかかっていたころ、日本のメンズファッションは、空前絶後の大変革にさらされていた。
ソフトスーツの台頭である。

分厚い肩パッド。太い身幅。ルーズなツータックパンツ。
カッチリとタイトなブリティッシュモデルともボクシーで質実剛健なアメリカンモデルともまったく異なるそのシルエットは、ラペル幅だのベントの深さだのといったマニアックなディテールの差異でしか変化のなかったメンズスーツにとって、地殻変動レベルのインパクトをもたらすものだった。

それまでに何度となく現れては消えていった過去の流行アイテムとソフトスーツの決定的な違いは、ものがスーツという「男の仕事着」であったがために、若者や一部の洒落ものだけの間で消費される流行アイテムとは比較にならないほど、広範囲かつ大規模な影響をおよぼしたという一点に尽きよう。

クールビズとカジュアルフライデーのおかげで、きっちりとスーツを着こなすことさえ稀になってしまった令和日本からみれば隔世の感があるが、80年代後半の日本では、ビジネスの場で上着なしノーネクタイで出社するなど、社会人の常識を疑われるほどのマナー違反であった。

出勤はスーツスタイル一択という社会にあって、とうのスーツの見てくれが手持ちのワードローブとはまったく異なってしまったとあっては、時代遅れの偏屈な人間だと思われないためにも、ソフトスーツを選ぶ以外に選択肢はなかった。売れ筋を追求する紳士服メーカーは、いきおいソフトスーツしか作らなくなり、とんとファッションには興味がないオッサンが適当に買うような背広もソフトスーツ一辺倒になった。ここまでくれば後は同調圧力が働く。猫も杓子もソフトスーツ。へそ曲がりなこだわりでオーセンティックなスーツを着たいと思ったら、テーラーであつらえる以外には方法がないというファシズム的状況が、そのあと数年間にわたって続いた。

ところでこのソフトスーツ。もともとはアルマーニのコレクションが発祥だという定説があるが、これは大きな誤解である。
毛芯やパッドといった副資材を極限までそぎ落とすことで着用者の肉体を包み込むような着心地を実現したうえで、繊細なイタリア生地がもたらすドレープの美しさを追求したアルマーニの方法論と、ただ単にオーバーサイズでグレーディングしただけの量産型ソフトスーツは、完全に似て非なる存在である。

理想の男性美の鋳型として構築的に仕上げる外骨格的な発想がそれまでのスーツの在り方だとすれば、着る人の肉体に「まとわせる」ことでナチュラルに美を表現するというアルマーニの発想は、メンズファッションの長い歴史におけるコペルニクス的な一大革命であった。近代史においては長きにわたってヨーロッパ文化圏の傍流に過ぎなかったイタリアが一躍服飾界のリーダーへと躍り出たのも、その中心に位置するアルマーニという存在なくしてはありえなかったはずだ。

日本におけるソフトスーツの流行も、もちろんこの流れを受けたものである。「ソストスーツの元祖はアルマーニ」は間違いだが、「アルマーニを精一杯まねて作ったのが日本製のソフトスーツ」と言い換えるならば、これが最も事実に近い表現といえるだろう。

ただし、バブル期の日本がそれまでと異なっていたのは、特段の富裕層ではない一般庶民でも、ちょっとだけ頑張ればイミテーションではない「本物」を手に入れることができるまでに社会が成熟していたという点にある。

昭和天皇崩御直前の自粛ムードに暮れた頃の百貨店には、アルマーニをはじめとするイタリアンブランドのショップが競うように軒をつらねていた。企画も生産も日本のメーカーが手掛ける名ばかりのライセンスビジネスの底が割れ、海外著名ブランドが直接ジャパン法人を作って世界標準の商品が提供されるようになったのもこの頃のことである。
バブルを謳歌し世界第二位の経済大国として君臨していた日本は、グローバルなブランドビジネスにとっても最良の市場として認識されていたというわけだ。

昭和30年代のアイビーブーム以来、海外の文化に対する憧れを模倣することで成り立ってきた日本のメンズファッションは、昭和という時代の終焉に至ってようやく、時差やアレンジのない「世界最先端と同じ立ち位置」を手に入れることができたのだ。

猫も杓子も着ていたソフトスーツだが、おおむね五年くらいでその姿を消し、一時的な反動でピチピチにタイトな三つボタンシングルが流行った後は、クラシコイタリアに代表される保守的なデザインが主流となって、今に至っている。そういう意味ではソフトスーツこそが、日本におけるメンズファッションの一大流行の最後の一例だったと認識することもできるだろう。

ファッションとは本来、着る人の哲学やライフスタイルの反映であるはずだ。
誰もが同じスタイルを着なければいけない気にさせられる「流行」の不在は、果たして多様性を容認する豊かさの証なのか、不要不急の消費が許されない衰退の証なのか。
昭和のファッション史に思いを馳せることで正解が見えてくるかもしれない。

ファッションプロデューサー 昭和風俗研究者
西式 豊

昼は某大手アパレルに勤務。
夜は某ブランドの企画運営。
最近は終戦直後占領期の横浜に興味津々。