ここ数年、80年代のテイストを取り入れた着こなしが流行だが、リアルに80年代を服に溺れて過ごした私はそれを少々こそばゆく受け止めている。
古くさいスタイルへの照れの半面、当時を誇らしく自慢したくなる複雑な感情だ。
ハイライズ(股上が深い)の太めのボトムにビッグシルエットのトップスの裾をインして着るスタイルもそのひとつだろう。
モコモコのニットだろうがウエストがゴム仕立てのスカートであろうが、なんでもかんでもウエスト・インしなければならない様子を、10年前に誰が想像しただろうか。
ティーン誌に限らず私たち世代のファッション誌も、もちろんウエスト・イン。
しかし体形の不具合を隠す必要がある世代ゆえ“ 前だけイン” なるけったいなスタイルも、もはや定番となった(そしてすでに去りつつある)。
DCブランドという言葉がファッション誌を賑わすようになった80 年代、高校生だった私は洋服に夢中になった。学校から帰る途中、おしゃれなお姉さんのいるコスメショップ(今思えば薬局の片隅だった)に友人とふたりで毎日のように通い、キラキラと美しいお姉さん相手に服やメイクや恋の話をした。
海のある街のファッションは、その頃はまだDCブランド前夜のサーファーファッションだったけれど、オフショルダーのブラウスに麻のバギーパンツ、カラフルなエスパドリーユを履く彼女は私たちの憧れだった。
ちょうど今の渋谷の女の子にリバイバルしているスタイルだ。
都心の服飾学校に通うようになった頃はまさにDCブランドの最盛期。
誰もかれも皆どこかのブランドの服を着て、どんなおしゃれをしているかイコールどこの服を着ているか。
「それ可愛いね、どこの? 」という会話があたり前だった。
カラス族と呼ばれたCOMME des GARCONS や Y’s 。都会の大人そのものだったBIGIやNICOLE 。ピンクハウスやATSUKI ONISHI 、I.S. などをガーリーに着こなすオリーブ少女たち。パワーショルダーにボディコンシャスなミニスタイルのジュンコ・シマダやアルファ・キュービックなどなど。
他にはロンドンのミュージックシーンのテイストを色濃く取り入れたニューウェーブ系のブランドもあった。
多様なスタイル、色彩、カテゴリーが競うように個性を主張していた時代。
誰もが好きな服を着たいように着ていた。
たぶん今のファストファッションの5倍はしたであろう価格の服にアルバイト代の全てを注ぎ込み、セールの初日にはラフォーレ前の長蛇の列に並んだ。
丸井の分割払い( 当時はローンなどとは言わず分割か月賦) でギャルソンを着ている友人なんて珍しくもなかった。
木型の合わない靴に足を合わせ、間違ってもゴム仕様ではないスカートにウエストを合わせた。
華やかで刺激的なアパレル業界全体のお祭りはずっと続くものだと、疑うことなく享受した。
バブルがはじけ平成になり、2000年代になると服の価格はずいぶんと安くなった。
ミニマルやノームコアというワードが生まれ“ 無駄に” 服を持たない若者も増えた。
ストレッチの効いた服地は着心地が良く、スニーカーは足に優しい。
エッジの効いたドメスティックブランドやインポートのストリートブランドなどをさりげなく着こなすファッショニスタたちは、上品に街に溶け込みSNSの中で称賛される。
ウエスト・インもしかり、ビッグシルエットや花柄ガーリーなど80 年代ファッションの気配は色濃く漂っているのに、どこか画一的でつまらなくもの足りない。
皆、周囲の空気を読みながら服を着てリンクコーデに安心する。
母校の在校生へのアンケートで、好きなブランドのトップが大手ファストファッションだったと聞いて泣きたくなった卒業生は私だけではないだろう。
それでも、私が服に注ぐ“無駄な”熱量は絶えることはない。
そのマインドの根底にあるのは、あの頃街中にあふれていた洋服愛であり、雑誌や映画、レコードジャケットなど、今も色褪せることのない80’s ファッションそのものだろう。
フリースタイリスト
きつかわかずこ
テレビ番組やタレントの写真集、CMや広告などのスタイリングを中心に活動。
近年は暮らしや食、健康で美しい身体とファッションについて考察する毎日。