第3回:80年代、洋服との濃密な時間~ファッション雑誌篇~

80年代のファッション誌というと必ず“アンノン族” というワードが出てくるが、「anan」と「non-no」を一括りにするのはかなり強引だといつも思っていた。
70年代初頭、1年違いで発刊された両誌はファッションのテイストとしてはかなり違う。
当時の国鉄が始めた個人旅行向けのキャンペーンに乗じて旅行の特集を多く扱ったことから生まれた言葉に過ぎない。
80年代の「anan」はファッションだけにとどまらず、女性の職業や生き方、恋愛やセックス、スピリチュアルに至るまで多様なテーマで“自分磨き”を提案してきた。
全盛期にあったDCブランドの中で「COMME des GARCON」や「Y’s」「NICOLE」「BIGI」など、アーティスティックなデザイナーズブランドを着たモデル達。
控えめなポーズや彩度の低いメイクはどこか無機質だった。全身黒ずくめのカラス族なるスタイルや、ブティックの販売員をハウスマヌカンと呼ばせたのもこの時代の「anan」だ。また、全国の主要都市のファッショニスタを撮影して特集する「おしゃれグランプリ」という企画も人気で、おしゃれ自慢の友人は日曜の表参道を何往復も歩いて声をかけられるのを待った。
「anan」がモード志向だったのに対し「non-no」の提案するスタイルはポピュラーなお嬢様カジュアルで、女子大生やOLに幅広く支持された。
明るいトーンのコーディネートは日常に取り入れやすく、また、紙面でモデルが着用している服や靴、アクセサリーや手に持つバッグまで、ブランド名や価格をコーディネートごとに掲載する見せ方は、地方の百貨店でも買うことができるカタログ的、教科書的な役割も果たしただろう。
従来のお嬢様スタイルであったきれいな色使いや膝丈のスカートなど普遍的なアイテムをあか抜けたフェミニンカジュアルにした「ROPE」や「FRANDL」など、普段着はどんどん洗練されていった。
当時は外国人モデルの起用が多かったが、その後日本人がメインとなり、専属となったモデルは明るく健康的な美しさで後に女優として活躍されている人も多い。
その頃中学生だった私は「mc Sister」を愛読していた。それは文字通りmc(メンズクラブ)の妹分で、コミック誌の延長などではない、れっきとしたファッション誌である。
どこか行儀の良い学生らしいスタイルを基本路線に、アメリカのハイスクールやフランスのB.C.B.G.などの特集も多く、初めて見るその世界は退屈な制服を着て学校に通う私たちの憧れだった。シスターモデルと呼ばれた少女たちは、ショートカットやナチュラルな太い眉が個性的な等身大のティーンであり、彼女たちの着る服はもちろん、ヘアスタイルやメイクなど全て真似をした。「Do!Family」や「45r.p.m.」は母親と一緒に買いに行けるおしゃれでもあった。
そして「Olive」の時代。
1982年に発刊された「Olive」は、高校生になった私に“おしゃれを着る”ではなく“おしゃれを楽しむ”ことを教えてくれた。既存のファッション誌にはない新鮮な“着こなし”で、好きなものは好き、可愛いものは可愛い、それを自分のスタイルにしてとことん楽しんでいいのだと、誌面の隅々から学んだ。ふわふわの巻き髪にそばかす顔のフレンチシックな少女たち。服のみならず音楽や映画、インテリアや雑貨など身の回りの全てを“好き”と“おしゃれ”で満たした。
「mc Sister」が親ウケの良いファッションだったのに対し、「Olive」の着こなしは「PINK HOUSE」や「ATSUKI ONISHI」「D GRACE」などのフリルを多用したブランドの服に古着のコートを羽織ってみたりと親の世代には理解し難く、その格好で出かけるのかと玄関で父に眉をひそめられたのもこの頃だ。さらには並んで歩く男の子は服飾か美容系の学生ばかりで、自分ではどんなに好きでも一般ウケはいまいちの非モテのファッションだったと言えよう。
けれど、それでも良かった。
大好きな服と可愛い雑貨に囲まれて、お小遣いとお年玉とバイト代の全てを「Olive」に捧げた日々はなんと豊かであったことか。
今でも私はその延長線上にいる。そこに立ちながら劇的に変貌するアパレル業界を泳ぎ、ファッションの“好き”を探している。
ファストファッション、ノームコア、ミニマルスタイル、何だって思い切り楽しめる。

フリースタイリスト
きつかわかずこ

テレビ番組やタレントの写真集、CMや広告などのスタイリングを中心に活動。 近年は暮らしや食、健康で美しい身体とファッションについて考察する毎日。