映画とは、社会を映す鏡でもある。
なかでも多くの観客の共感を得たヒット作には「時代の空気」が濃厚に反映されている。
昭和51年の興行第2位は市川崑監督の『犬神家の一族』。はたしてフィルムに残された空気は、なにを語ってくれるのだろうか?
オイルショックの翌年、昭和50年。政府は早くも景気が回復局面に入ったと宣言したが、国民の多くはその言葉を実感することができずにいた。それが証拠にこの年は企業の破綻があいついだ。8月にはパルプ繊維の製造大手である興人が、負債総額1500億円という戦後最大規模の倒産を記録している。
輸入資源に依存した事業の脆弱さを痛感した経済界は、それまでの中核であった資本集約型産業から、革新的なテクノロジーやビジネスモデルを原動力とした技術集約型産業への転換を進めつつあった。この流れに乗り遅れた企業が次々と淘汰された結果が、倒産件数の増加に現れていたのだ。
邦画製作各社にも、時代の流れは同じように作用していた。昭和49年の〈映画復活〉は一時的な活況に過ぎず、興収総額だけは前年比1.1倍と右肩上がりを維持していたが、これとて狂乱物価の便乗値上げで鑑賞料金を25%引き上げた結果であり、実質的には完全なマイナス成長であった。
それでは、興行ベスト10の一覧表を見ていこう。
8位の『嗚呼!!花の応援団』で、日活が久々に一般映画枠での実績を残していたが、あくまでも原作まんがの人気にあやかったものだ。松竹は寅さん、東映はトラック野郎と定番のタイトルが並び、人気シリーズの固定ファンに依存した旧態依然のプログラムが組まれていたことがわかる。中で唯一気を吐くのは東宝だ。5位『絶唱』6位『風立ちぬ』と二作品をランクインさせて、山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビを盤石のものとしたからだ。
テレビのオーディション番組からデビューして、同学年の桜田淳子、森昌子と共に〈花の中三トリオ〉として売り出した山口百恵は、暗喩というのが憚られるほど思わせぶりに性的な歌詞を前面に押し出す戦略で頭一つ抜けた人気を確立しつつあった。
青い性をテーマにした楽曲での背徳的なイメージとは裏腹に、映画作品は軒並みかつての文芸名作のリメイクに終始しているのは、ただ単に安全パイとしての選択であった。『絶唱』に至っては、前近代的な村落共同体における山林地主と下人の娘の格差恋愛という時代錯誤な内容で、70年代の歌謡シーンを象徴するアイドルならではの独自性や魅力は残念ながら感じることができない。逆説的に言うならばこれは、彼女の名前さえあれば観客の動員が見込める当代最高の映画スターが山口百恵であったという事実の証明でもある。
邦画の銀幕はこれまでにも多くの女優によって彩られてきたが、それらは一人の例外もなく映画が生んで映画が育てたスターであった。前述のように山口百恵はテレビのオーディション番組出身の歌手であり、相手役の三浦友和でさえも、チョコレートのCMでの共演が話題を呼んだからこその起用であった。
日本の映画界は長きにわたって、自らを娯楽の王座から引きずり落としたテレビを目の敵としてきた。そんななかで、自社機能を配給のみに特化し、製作は子会社や外部に丸投げするという新たなビジネスモデルを構築していた東宝だけが、テレビのスターを柔軟に取り入れることができたのだ。
製作にともなう金銭的なリスクを出資者に移転したうえで、所属タレントのマネジメントや所有不動産で収益を生み出す東宝の事業形態は〈映画も撮る資産管理業〉と揶揄されながらも、同業他社を大きく引き離した圧倒的シェアで君臨を続ける原動力となった。
一方でそれは、邦画史に画期的な足跡を刻む、まったく新しいイノベーターの登場を呼び込む下地ともなった。この年の興収2位『犬神家の一族』も同様に東宝は配給のみで、製作はこの作品で映画界に殴り込みをかけた角川春樹事務所によるものである。
『犬神家の一族』に関する説明は一切不要であろう。湖面からつきだした二本の足やスケキヨのマスクを見たことのない日本人など存在しないはずだ。
令和の今日、名探偵金田一耕助とその生みの親の名前は誰もが知るところだが、横溝正史という作家は、松本清張を筆頭とする社会派本格推理小説の台頭によって、一時は完全に文壇から忘れ去られた存在だった。絢爛かつ耽美なその作風の普遍的価値に目をつけ、怒涛の文庫本化によってリバイバルを仕掛け、見事に成功をおさめたのが角川書店であり、その陣頭指揮にたったのが若き二代目社長角川春樹だった。
角川はかつての一社員時代に、米国映画『ある愛の詩』の原作翻訳権をいち早く買い付け、日本公開にあわせて大々的な宣伝を行うことでベストセラーを生み出すという実績を打ちたてていた。日本におけるメディアミックスの最初期の成功例である。社長となった角川が目論んだのは、この手法を大規模に推し進めることで横溝正史という作家の商品価値をさらに高めようという戦略だった。当初はもっともキャッチーな内容を持つ『八つ墓村』を松竹で公開する計画だったが、制作期間が延びに延び(最終的に2年7ヶ月を要した)このままでは最適な売り出し時機を逸してしまうという懸念が高まったために、それならば映画も自分で作ってしまえとばかりに立ちあげたのが角川春樹事務所だったのだ。
後には自分で監督まで手掛けるようになることからも、角川自身が映画好きであったことは間違いないが、彼にとっての映画製作が、あくまでも自社製品の発行部数を伸ばすための手段に過ぎなかったことは、本作の製作費が2億2千万円であったのに対して、同時に実施された文庫フェアの宣伝費には3億円も投じられたという台所事情にも端的に表れている。映画関係者たちは角川のそんなスタンスを見て、宣伝だけで中身のない空疎な作品に誰もがそっぽを向くはずだとたかをくくっていたが、蓋を開ければ大ヒットになったことは前述の通りだ。
『エクソシスト』のオカルト趣味。『刑事コロンボ』で一般化した本格ミステリ。アンノン族に顕著な過去の日本への郷愁。『犬神家の一族』という作品を細かく分析すれば、当時の観客に支持された要因はいくらでも見つけることができる。けれどもそれ以前に、観客たちを劇場に行く気にさせた理由を突き詰めるならば、日本中の書店の平棚を占領した文庫本フェアのインパクトと、大量投入されたテレビCMの浸透力にあったことは間違いない。宣伝と割り切ったからこそ喚起することのできた〈話題性〉こそがヒットの鍵になることを、業界の外からやってきた男が身をもって証明してしまったわけだ。
この後邦画各社はそれまでの二本立てから大作一本立てへと興行形態を移行させていく。角川の成功に倣って、これまで以上に宣伝費を投入するために、選択と集中が実行されたのだ。通常日本の社会では出る杭は打たれるのが通例だが、完全な弱体化をしていたがゆえにイノベーターの参入を許した邦画業界が、その功績によって復活の糸口をつかむ展開は、現代でも大いに学ぶべきところがあるはずだ。
ファッションプロデューサー 昭和風俗研究者
西式 豊
勤めていたアパレル会社がまさかのコロナ倒産。
いきなりフルタイムの中小企業経営者へと転身。
時代も自分も先が見通せなくてほとほと困惑中。