第5回:アイドルがファッションリーダーだった

国民的なスーパーアイドルだった山口百恵が21歳で引退した昭和55年、そのバトンを受け継ぐように登場したのが18歳の松田聖子だ。気がつかなかったのは僕だけかもしれないけど、山口百恵と松田聖子がたった3歳しか違わないなんて意外な感じだ。庶民的だけどちょっと陰のあるアイドル百恵ちゃんに対して、聖子ちゃんはまぶしい明るさを感じさせる新時代のアイドルだった。フリフリのドレスを着てカメラ目線で歌う女の子は若い男性を虜にしただけでなく、あらゆる世代の人気者になった。TBSテレビの人気番組『ザ・ベストテン』、昭和55年9月18日放送回から3週連続で1位を記録した「あ~わたしの恋は~」から始まる「青い珊瑚礁」、あの伸びやかで透明感のある歌声を日本中の人が聞いていた。歌番組は人気があったから、昭和のアイドルたちは、現在のアイドル以上に「お茶の間」で世代を問わず、幅広く親しまれていた。
そのころの私は社会人になって数年、初めてあこがれの新車を購入しドライブを楽しんでいた。助手席に女の子がいるときのBGMは、かっこをつけて山下達郎やユーミンなどのポップス系、でもひとりで運転するときは聖子ちゃん。車の中でいっしょに歌っていた。

そんな聖子ちゃんの影響力は音楽だけにとどまらず社会現象にまで発展。言わずと知れた「聖子ちゃんカット」、前髪で眉を隠すのが印象的で、肩までくらいの長さのレイヤーカットの毛先をサイドは外向きにブロー、バックは内側にゆるくカールさせた髪型。顔周りの髪がくるんっと外向きになっていて、なんとも可愛らしい。ちょっと説明すると、レイヤーカットとは毛先に向かって段をつけてカットすること。今でも人気がある髪型だ。なんでかというと、レイヤーカットは顔のまわりの髪に動きを生むから顔全体の印象を、みんなが憧れる「小顔」に見せることができるからだ。

昭和57年にデビューした中森明菜を含め小泉今日子や松本伊代などのアイドルまでもがみんな聖子ちゃんカットだった。アイドルの髪型や服装の影響力が今と比べモノにならないほど大きかった時代。若い女性はもちろん、中学生や小学生までもがマネをした。中学校や小学校では禁止令まで出たほどだった。

昭和の時代、アイドルは一般人とは全くの別世界の住人だった。ブラウン管の中にしか存在しない、生きる伝説のようなものだった。だからこそ、あこがれる想いが強く募って神格化した。アイドルのことを知りたい、身近に感じたいと思って、テレビや雑誌、新聞をくまなく読んだものだった。学校でのアイドルの話題なんかも貴重な情報源だった。とにかく情報が少なかったから、少ない情報から思いをはせて想像した。 

それがスマートフォンの登場から10数年が経過した現在、人々を取り巻く環境は大きく変わってしまった。昔からあるテレビ、新聞、雑誌に、LINE、Twitter、Instagram などのSNS、それにYou Tube、ニコニコ動画などの動画共有サービス。小学生でもスマホを持つ時代、いくらでも情報を収集できるようになった。

心理学に「認知資源」という言葉がある。簡単にいえば「脳が活動をするためのエネルギー」のことで、考えたり、物事を決めたり、記憶したりすると減っていく。ソーシャルメディアは、ただ雑誌やネットを読むより多くの認知資源が必要になる。「あの人がこう言ってる、他の人はどう思うのか」など、処理する情報量が多くなるからだ。認知資源が無くなると、集中力が低下し、疲労を感じ、ミスが多くなる。認知資源は寝るまで回復しない。電車の中でも朝からみんなスマホをいじっている。情報の海に溺れて大丈夫なのだろうか。インターネットやソーシャルメディアの発展は、考える時間を減らし創造力を失わせていると絶対に思う。

昭和の時代は確かに情報が少なかった。でも考えたり悩んだりする時間がたくさんあった。そんな時代と情報はたくさんあるが、そのことを深く考える時間が無くなってしまった現代と、どちらが良い時代なのだろうか。

あかちん

学生時代は旅とバイトに明け暮れ、卒業後、当時の女子高生に絶大な支持を得ていた某アパレルショップチェーンに入社。販売員、店長、生産企画から物流まで30年近くもファッションに携わる。
某大手アパレルに買収されたのを機に、全く畑違いの会社の企画部門に転職する。