第7回:昭和60年『ゴジラ』

映画とは、社会を映す鏡でもある。

なかでも多くの観客の共感を得たヒット作には「時代の空気」が濃厚に反映されている。

昭和60年の興行第2位は橋本幸治監督の『ゴジラ』。はたしてフィルムに残された空気は、なにを語ってくれるのだろうか?

80年代も折り返し地点に到達し、日本人の生活はますます豊かになっていた。この時期の企業広告に〈おいしい生活〉というコピーがあったが、高度経済成長期の豊かさがカー・クーラー・カラーテレビといった工業製品に代表されていたのとは対照的に、80年代の豊かさが上質・快適・美意識といった精神面での充実を求めていたことを簡潔に表現した、時代を象徴するフレーズと言えるだろう。
この時期に大きな変化をみせた大衆文化としては〈食〉の存在も無視することができない。80年代初頭から富裕層中心にブームをきざしていたフランス料理は、パリの名店トゥールダルジャンの東京進出を頂点として一気に世俗化を果たし、東京中に小洒落たビストロが乱立するまでに加熱した。83年連載開始のグルメまんが『美味しんぼ』のヒットは食文化の底上げにも貢献し、よりカジュアルなイタ飯ブームを経て、バブル前後のエスニックブームへと、世界中の美味すべてを食べつくさんばかりの勢いで拡散していくことになる。

一方で世界に目を向ければ、旧ソ連ではゴルバチョフが新大統領に就任し、長きにわたった東西冷戦時代に幕が引かれようとしていた。
対する西側社会では、プラザ合意によって行き過ぎたドル高が是正され、一気に円高の傾向を招くことになった。これにより日本の海外資産は労なくして倍化したばかりか、相対的に安くなった輸入品は、それまでの〈高嶺の花〉から〈庶民のご褒美〉レベルにまで大衆化することになった。

世界は確実に平和へと向かい、日本は着々と金持ちになっている。未来は薔薇色だと誰もが信じていた昭和60年。時代はどんな作品を求めたのだろうか? 興行ベスト10の一覧表を見ていこう。

なによりも特徴的なのは、1位と2位がどちらも戦争の記憶と直結した作品で占められているという事実だろう。昭和60年という年が戦後40年の節目にあたったとはいえ、なんとも不思議な巡り合わせを感じざるを得ない。
第1位の『ビルマの竪琴』は、市川崑監督による昭和31年作品のセルフリメイクだが、『南極物語』に続くフジテレビ映画の第二弾として、この時点での邦画歴代興収2位という大ヒットをマークした。
戦争の悲劇を描いたお堅い作品でここまでの集客を実現したのは、看板番組『オレたちひょうきん族』内でギャグまみれのパロディ『入間の竪琴』を公開するという大技まで繰り出すほどに、フジサンケイグループの総力を結集したプロモーションの成果である。インパール作戦での戦死者への鎮魂という重厚なテーマさえも、「楽しくなければテレビじゃない」と豪語する80年代同局の〈軽チャー路線〉によって、話題のエンターテインメントとして大衆に受容されることになったのだ。

第2位の『ゴジラ』は、オタク第一世代とも言うべき当時の特撮ファンたちによる熱意のこもった嘆願運動が実を結び、一作目の公開から30年目というイベントイヤーにあたって、久々の復活を果たしたものだ。

夏休みの子供向け番組〈チャンピオン祭り〉に組み込まれ、すっかり子供の味方となって毒気の抜けたゴジラだったが、本作ではそれらの黒歴史をなかったことにして、30年前の一作目から直結した続編という体裁で作られている。『日本沈没』に代表される70年代東宝パニック映画の方法論を援用したリアル怪獣災害ものという路線は『シン・ゴジラ』の四半世紀早いプロトタイプとも言うべきもので、最近でこそ一定の評価を勝ち得てはいるが、封切り当時の特撮マニアからは完全な総スカンを食らう結果を招いてしまった。

編集の拙さ、脚本の粗さ、人物設定の甘さ等々、一般的な娯楽作品として観ても多々問題をかかえる本作だが、怪獣映画として最も致命的な瑕疵は、ゴジラがちっとも怖くないという一点に集約される。

ゴジラの本質は恐怖であり、巨大なキノコ雲を彷彿とさせる禍々しいその姿は、一作目が公開された昭和29年当時の日本人が抱いていた破滅の未来(核兵器を使用した第三次世界大戦の勃発)と破壊の記憶(原爆で焼土と化した広島や長崎)が二重写しとなって具現化したものに他ならない。

それに引き換え昭和60年のゴジラときたら、体長は80メートルへと巨大化したが、高層ビルの谷間にはさまれたその姿は〈大都会のセットに現れた着ぐるみ〉そのままにしか見えなかった。政府が秘密裏に開発した超兵器スーパーXは、ほんの数分の闘いでゴジラを活動停止にまで追い込んでしまうし、帰巣本能を利用して活火山の火口に誘導するという作戦も、ゴジラが死なないという前提の下では、怪獣退治というより動物保護の発想にこそ近いものだ。

そういう意味では本作におけるなによりの見どころは、戦災の傷跡残る一作目とは隔世の感さえある、世界有数のハイテク都市へと変貌をとげた大東京の壮麗な夜景こそにあるといっても過言ではない。スタッフの心の片隅にも「たとえ今ゴジラが出現したとしても、この東京が焼け野原に化すようなことはない」という確信があったのだろう。そこには、世界最高レベルの生活を謳歌し、その豊かさがいつまでも続くことに微塵の疑いも抱くことのない、傲慢な自負心の存在さえ感じ取ることができる。恐怖が存在しない世界に、良質の怪獣映画が生まれるはずもない。本作が失敗作だったとするならば、それは即ち、時代が幸福だったことの証明に他ならない。

それにしても、年間興収の上位二作がリメイク映画に占められたというのは、後にも先にもこの年だけの異常事態である。戦後40年という節目にあわせた回顧だったとしても、そのために新たな物語を紡ぐのではなく、過去作の再生産で良しとされた背景には、80年代日本の豊かさとは、あくまでも消費文化の充実のみを指しており、ことクリエイティブという面では、新しいなにかを生み出していたわけではなかったことを象徴しているようでもある。

けれども筆者は、そのことを恥じるべきだとは考えていない。ひとたびその視点を映画興行全般に向けるならば、この年代は東京を中心にミニシアター文化が大きく花開いた時期でもあった。個性豊かな多くの小劇場が、その小回りの利くフットワークを武器にして、英語圏の娯楽作品や映画祭の受賞作といった、商業的視点に捕らわれないバラエティに富んだ作品を次々と紹介していったことが、我が国映像文化の国際化と多様化におよぼした貢献は、計り知れないものがあるはずだ。

食や衣料がそうであったように、円高を背景として世界中の良質な文物が吸い寄せられるように日本に集結し、それらの体験を通して平均的日本人の文化度は、この時点において、世界最高水準の洗練を極めるに至っていた。

続くバブルの時代において、金銭的な豊かさが泡と消えた後も、この時期に蓄積した経験値と審美眼が、令和の今日まで日本の創作やものづくりを底支えする基盤となったことは、否定のできない事実だろう。

ファッションプロデューサー 昭和風俗研究者
西式 豊

勤めていたアパレル会社がまさかのコロナ倒産。
いきなりフルタイムの中小企業経営者へと転身。
時代も自分も先が見通せなくてほとほと困惑中。