昭和30年代後半からはじまったいわゆるアイビー・ルックのブームは、メンズクラブ(雑誌)とVANジャケット(アパレルブランド)が仕掛けたキャンペーンの結果との定説に間違いはないが、一般的な生活水準の若者でも、そこそこの金を洋服にかけられるようになった、という経済的な背景がなければ、そもそも成立はしなかったはずだ。
蔦のからまる歴史あるキャンパスを擁する、アメリカ東海岸の超一流大学生が着ているようなファッション、というのがアイビー・ルックの語源である。
もはや戦後ではないと言われたのが昭和31年。相手が進駐軍のGI風情であっても、指を食わえてその豊かさを見ているだけだった終戦直後からわずか十数年間で、かの国を支配するエスタブリッシュメントのライフスタイルを(たとえそれが借り物的な付け焼刃であったとしても)望めば手に入る憧れの対象にまで引き寄せたのだから、やはりこの時期の日本の経済成長には、凄まじいものがあったわけだ。
ブーム後もジャンルとして完全に定着したアメカジに対して、一斉を風靡したアメリカントラッドのスーツは完全な下火になってしまった。おそらくこれは、三つボタン段返りだのフックトベントだの、細部にばかり拘泥した日本的解釈が裏目に出たためだろう。
それが証拠に、当時のファッションリーダーであったハーバード出身のケネディ大統領は、ウエストにやや絞りを入れた、Vゾーンの広い二つボタンのスーツをあつらえている。既得権益の象徴のようなトラディショナルモデルのディテールをあえて封印することで、進歩的なイメージの訴求を狙ったからだ。
そんなケネディだが、唯一ジャケットの肩のラインだけは、大仰なパットを入れないナチュラル・ショルダーだった。
肩肘を張らない自然体こそがアイビーリーガーの極意、と見るのはこれまた日本的解釈に過ぎるだろうか?
ファッションプロデューサー 昭和風俗研究者
西式 豊
昼は某大手アパレルに勤務。
夜は某ブランドの企画運営。
最近は終戦直後占領期の横浜に興味津々。