
第6回:「名犬リンチンチン」と「頓馬天狗」
もう一度、昭和33(1958)年の夏に戻ろう。わが家にテレビが来た当初、私が見ていた番組はというと・・・まず思い出すのがリンチンチン(Rin Tin Tin)と . . .
もう一度、昭和33(1958)年の夏に戻ろう。わが家にテレビが来た当初、私が見ていた番組はというと・・・まず思い出すのがリンチンチン(Rin Tin Tin)と . . .
思い出の少年雑誌たち 私の小学生時代の雑誌遍歴は月刊誌から始まった。「ぼくら」(講談社)、「少年」(光文社)、そして「赤胴鈴之助」が掲載されていた「少年画報」( . . .
新聞記者の仕事は記事を書くことだ。しかし、ある時期記事を書かない記者が新聞社には存在し、なおかつ大手を振って社内外を闊歩した。昭和34(1959)年のテレビ受像 . . .
今はなき大阪テレビ(OTV) 放送局は地球上の有限なる電波を使用するので、使用電波(周波数)割り当てはスイスのジュネーヴにあるITU(国際電気通信連合)という世 . . .
テレビの草創期、テレビを集客のツールに利用する人々、とくに飲食店の経営者は多かった。家にテレビが来る前、私が最もテレビを視聴した場所がこの飲食店(食堂)だった。 . . .
京都の伯母宅から予定を切り上げて帰宅した私を待っていたのは早川電機(現シャープ)製の14インチのブラウン管に映し出されるモノクロ映像だった。当時(昭和30/19 . . .
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